
鵜飼彩郁+成田航平
9/19
鵜飼彩郁
俳優。マチルダアパルトマン・劇団ヨーン所属。
マミアナさんとはENBUゼミナールきっかけで出会い、そこから懐いてチョロチョロしてます。
成田航平
転勤族。マミアナでしばらく演劇等を作ってます。平日はファッションブランドで働いており、最近仕事がとても楽しいです。
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届いた感想
《友だちがSASUKEに出て死んだ》というひとが舞台上で何度も回転しながら探し物を見つけようとする。頭を下に向けて回転し、顔を上げたときには髪が乱れパーカーのフードが被さってい、それがいつしか直っているかと思えば、また回転し、乱れる、……そういった動きを追っているだけでも楽しいと思えた。いちおう(と書いたら成田くんに失礼か)筋書きのようなものはあって、SASUKEに行って帰ってこなかった友だち/SASUKEに行かずに今日も電車に乗る私、という対比から兵役志願的な暗喩を読み取ってしまうこともできる、が、まずは鵜飼さんの表現が前面に出た作品だった。
「SASUKE」といわれたときに僕がまず頭に思い浮かべるのは、やはり、そり立つ壁だ。ファーストステージ後方に配置された、巨大な波のような構造物を前に、挑戦者たちは何度も駆け上がって壁のてっぺんに手をかけようとするが失敗し、大げさなカウントダウンが大きく鳴り響くなかでタイムアップが告げられ──今回の作品の比喩を引き継げば──《命を落とす》こととなる。作品中で比喩的に用いられる「SASUKE」が現実のSASUKEのディテールをどのていど引き継いでいるのかはわからないが、成田くんが回転という要素をそこから抽出し、いっぽう観客の僕はそり立つ壁を幻視しているのだからおもしろい。最後、電車に乗った鵜飼さんがバランスをうしなって前に倒れ落ちる、そこでも僕は、本家SASUKEの、戦時下かのように大きく響く警報のことを考えていたのだった。
鵜飼さんというひとは上演中にはものすごく切実そうに見えるのだが、終わってからお話をしてみると朗らかでやわらかな印象を受ける、それもすごい。作品中で繰り返される回転の動作にかんして、練習を重ねたためか、もはや一度や二度では目が回らなくなってきたと話していて、それこそ、自宅の裏庭にステージセットを再現して練習を重ねるSASUKE挑戦者のような、絶え間ない鍛錬の成果だと感じさせる。回転に伴うフードや髪の動きまでもが(おそらく)計算され練習されているだろうとも思うし、そうなると、私物なのであろうニューバランスのスニーカーまでもが、倒れたり落ちたりせずに進みつづけるための「バランス」をもたらすという意味でSASUKE性を帯びてくる。ここまでくると成田くんの構想しているものからは外れてくるのかもしれないが、このような偶発的なSASUKE性が、十一月の公演にもたらすものの行方も楽しみになった。
「SASUKE」といわれたときに僕がまず頭に思い浮かべるのは、やはり、そり立つ壁だ。ファーストステージ後方に配置された、巨大な波のような構造物を前に、挑戦者たちは何度も駆け上がって壁のてっぺんに手をかけようとするが失敗し、大げさなカウントダウンが大きく鳴り響くなかでタイムアップが告げられ──今回の作品の比喩を引き継げば──《命を落とす》こととなる。作品中で比喩的に用いられる「SASUKE」が現実のSASUKEのディテールをどのていど引き継いでいるのかはわからないが、成田くんが回転という要素をそこから抽出し、いっぽう観客の僕はそり立つ壁を幻視しているのだからおもしろい。最後、電車に乗った鵜飼さんがバランスをうしなって前に倒れ落ちる、そこでも僕は、本家SASUKEの、戦時下かのように大きく響く警報のことを考えていたのだった。
鵜飼さんというひとは上演中にはものすごく切実そうに見えるのだが、終わってからお話をしてみると朗らかでやわらかな印象を受ける、それもすごい。作品中で繰り返される回転の動作にかんして、練習を重ねたためか、もはや一度や二度では目が回らなくなってきたと話していて、それこそ、自宅の裏庭にステージセットを再現して練習を重ねるSASUKE挑戦者のような、絶え間ない鍛錬の成果だと感じさせる。回転に伴うフードや髪の動きまでもが(おそらく)計算され練習されているだろうとも思うし、そうなると、私物なのであろうニューバランスのスニーカーまでもが、倒れたり落ちたりせずに進みつづけるための「バランス」をもたらすという意味でSASUKE性を帯びてくる。ここまでくると成田くんの構想しているものからは外れてくるのかもしれないが、このような偶発的なSASUKE性が、十一月の公演にもたらすものの行方も楽しみになった。
回転の連続の勢いと髪の乱れが、どうしようもない気持ち、持って行き場のない気持ちを表している感じがしました。
喪失したものは永遠に返ってこないこと、それでもずっと残された者の中には堂々巡りのように留まり続けることの痛み、空虚感のようなものが生々しく伝わって来ました