
井上哲
9/199/23
マミアナで演劇を作って、俳優をしています。最近路上で踊り始めて、今年はダンスの上演作品をいくつかやっています。
フェスでは、動きや振り付けの素を探り、それを共有することで誰かと一緒に踊る可能性を探るパフォーマンスをします。成田の作品にも出演するかもしれません。
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届いた感想
哲さんのダンスはその日見た出演者の中でも、踊るのが好きだから踊りたいっていう気持ちがすごく伝わってきて、口実が無くても踊ってるのを見たいなって思った。
でも、踊る口実をもらったり、作ったりしているところには、人柄がよく出てる気がして、真面目な人なんだなぁって思った。
真面目な顔して面白いこと言うのも、とても良い意味でずるいなーって思った。
「やりたいことをやるフェス」なのに、なんとか口実を作ってやりたいことをしている姿には、どこか不自由さを感じる一方で、その不器用さも含めて魅力的で、次はどうするんだろうって気になってしまった。
15分間を通して、隙の無さというか、熱意が伝わってきてとても格好良かった。
でも、踊る口実をもらったり、作ったりしているところには、人柄がよく出てる気がして、真面目な人なんだなぁって思った。
真面目な顔して面白いこと言うのも、とても良い意味でずるいなーって思った。
「やりたいことをやるフェス」なのに、なんとか口実を作ってやりたいことをしている姿には、どこか不自由さを感じる一方で、その不器用さも含めて魅力的で、次はどうするんだろうって気になってしまった。
15分間を通して、隙の無さというか、熱意が伝わってきてとても格好良かった。
「まっしろなヨーグルトを、無糖で、朝ごはんの場で、とても美味しそうに食べそうな人」
そんな印象を彷彿とさせるおどりの前があって(それも後からおどりの最中だったことが分かるのだけど)その白いイメージのまま、おどるときにも白い服を着ている人が井上さんだった。
「口実パンフレット」に書かれた何個もの口実、信条、労働、詩的なもの、生活、仕組み、選択、参加、そして「いつもおどってる」。
踊りを間近で見たことがない私は、こんなにも生活っぽいおどりがあるんだ、とはじめて見た感じで、その動きをじっと見た。
それまでイメージしていた踊りは、音楽に合わせて、すべてのところが魅せるための綺麗さで埋め尽くされた、例えば、紫色の金属、ダンスホールの強烈な光、真っ黒で強固な芯がある肉体、モノクロの写真、みたいなもの達。なのに、そこに広がっているのは、机の(けがをしないように丁寧に加工された)角丸の四辺や、三角定規の45°、スーパーに並ぶラスト1つのコーヒー牛乳、雨になるのに気づかずうっかりかけた洗濯の音、そんなもの達を描くようなおどり。
井上さんがおどることで、生活にあるもの達は「在る」ことになる。もしかしたら、それらが「こう在りうる」をこえた形で。
「いつもおどる」からきっと等しくあらゆるもの達に「あなたは在るよ、」と言う。
脚をかがめるのは机の角があったから、空を擦るような感じで視線を移すのは45°があったから、少し躊躇した指先はラスト1つだったから、目が少しだけ大きく開かれたのは雨に気づかなかったから。もしかしたら。
鑑賞者のイメージ、投票されたテキスト、手を挙げて止まったときの風景、何回目かの口実のその日は、おどりの場で巻き起こるもの達を呼び起こす仕組みをつくって、目には見えない、すぐに消えて、すぐに生まれるもの達に「あなたは在る」と言おうとしている、ひとりの観客はそのようにあの場を見た。生活よりもずっとずっと速く複雑にうつろい、時に恐ろしく繊細なものに対して、いままでのおどりで、生活から始まったおどりで、切実に呼びかけている。
そんな切実な試みの集まりを「口実」と呼ぶのも、おそらく何回ものおどりを経た振る舞いで、そのすこし芯がある感触を思うと、もしかしたらヨーグルトの隣にはコーヒーがあったかもしれない。そんなことも思ったりして、ここにもおどりのきっかけがある。
そんな印象を彷彿とさせるおどりの前があって(それも後からおどりの最中だったことが分かるのだけど)その白いイメージのまま、おどるときにも白い服を着ている人が井上さんだった。
「口実パンフレット」に書かれた何個もの口実、信条、労働、詩的なもの、生活、仕組み、選択、参加、そして「いつもおどってる」。
踊りを間近で見たことがない私は、こんなにも生活っぽいおどりがあるんだ、とはじめて見た感じで、その動きをじっと見た。
それまでイメージしていた踊りは、音楽に合わせて、すべてのところが魅せるための綺麗さで埋め尽くされた、例えば、紫色の金属、ダンスホールの強烈な光、真っ黒で強固な芯がある肉体、モノクロの写真、みたいなもの達。なのに、そこに広がっているのは、机の(けがをしないように丁寧に加工された)角丸の四辺や、三角定規の45°、スーパーに並ぶラスト1つのコーヒー牛乳、雨になるのに気づかずうっかりかけた洗濯の音、そんなもの達を描くようなおどり。
井上さんがおどることで、生活にあるもの達は「在る」ことになる。もしかしたら、それらが「こう在りうる」をこえた形で。
「いつもおどる」からきっと等しくあらゆるもの達に「あなたは在るよ、」と言う。
脚をかがめるのは机の角があったから、空を擦るような感じで視線を移すのは45°があったから、少し躊躇した指先はラスト1つだったから、目が少しだけ大きく開かれたのは雨に気づかなかったから。もしかしたら。
鑑賞者のイメージ、投票されたテキスト、手を挙げて止まったときの風景、何回目かの口実のその日は、おどりの場で巻き起こるもの達を呼び起こす仕組みをつくって、目には見えない、すぐに消えて、すぐに生まれるもの達に「あなたは在る」と言おうとしている、ひとりの観客はそのようにあの場を見た。生活よりもずっとずっと速く複雑にうつろい、時に恐ろしく繊細なものに対して、いままでのおどりで、生活から始まったおどりで、切実に呼びかけている。
そんな切実な試みの集まりを「口実」と呼ぶのも、おそらく何回ものおどりを経た振る舞いで、そのすこし芯がある感触を思うと、もしかしたらヨーグルトの隣にはコーヒーがあったかもしれない。そんなことも思ったりして、ここにもおどりのきっかけがある。
双方向的なパフォーマンスを繰り広げるのかと思いきやデバイス通信を使った観客の投票や音源への言葉のコメント、用意された映像への観客の指示など、観客に踊る口実を求めるわり(観客にはあまり選択肢がないので)に無視したいような感じを暴力的なのでと初め警告していたのか、分からないが、媒介にした映像、音源、観客とのオンライン情報通信含めて、双方向性を騙ったフィクションのフレームで踊りたかったのだろうかと、ちょっと分からなかった。一連の中で気になったのは映像、テキストともに視覚に寄ったモーションが強すぎてシークェンスが分離しているようにみえ集中できなかった気がした。捩じくれた口実の捏造的な正直な踊りだったかも。
哲さんはへんなひと。へんなひとであるというじじつが体のなかでウズウズしている震えを観ているような感覚があった。顔だけにとどまらず身体全体がもっている表情の、まとまりそうで不埒でもある様子。それが、様々なシチュエーション=口実と重ね書きされながら見えてくる。
とはいえ、美的な良さもあり、たとえば手や腕の扱いのキレイさ。エンドゲームの引用の秀逸さ。そこに混じる、たとえばQRコードの表示のため椅子をずらしにいく心づかいや自分のやっている振り付けに対するセルフツッコミなど、現実に対応していく理性的人間の心身。
どれだけ狂人的であっても、その表出が端正であることはもちろん魅力的であるのだが、私はもっと崩壊しきった哲さんを観たいとおもっているかもしれない。顔面ストッキング、とか、踊る口実としてどうでしょうか?
とはいえ、美的な良さもあり、たとえば手や腕の扱いのキレイさ。エンドゲームの引用の秀逸さ。そこに混じる、たとえばQRコードの表示のため椅子をずらしにいく心づかいや自分のやっている振り付けに対するセルフツッコミなど、現実に対応していく理性的人間の心身。
どれだけ狂人的であっても、その表出が端正であることはもちろん魅力的であるのだが、私はもっと崩壊しきった哲さんを観たいとおもっているかもしれない。顔面ストッキング、とか、踊る口実としてどうでしょうか?
会社員として、都市に暮らす労働者として、演劇と音楽が好きないち青年として、踊る《口実》を見つけようとする井上くんの姿が、こういってはなんだけど、かわいい。僕は井上くんの踊りを見ると、やはりどことなくドニ・ラヴァンを思うのだが、それでいうとたとえば『美しき仕事』の最後でドニ・ラヴァンが踊る《口実》はなんだったのだろうか、ということにまで連想が及ぶ。いや、もちろんあのときのドニ・ラヴァンには物語上踊る《口実》が与えられていたし、もっといえば、映画だから踊っていい、という、身も蓋もない《口実》があったといえる。それにたいして、井上くんは映画の登場人物ではないから、《口実》を自分で見つけなければならない。「やりたいことをやる」フェス、という場において、踊りたいから《口実》をもらおうとする、僕が見た三組のなかである意味もっとも欲望に忠実なパフォーマンスといえた。観客のスマホの力を借りてまで《口実》をもらおうとする図々しさがありながら、予備のスマホも用意しておくという配慮のバランスが、いかにも社会人らしくておもしろい。観客が匿名で自由に発言できるチャットが想像以上に盛り上がって流れていったり、新幹線の車窓の風景を長回しした映像が思いどおりにストップしなかったりと、ああいった場ならではの予想外のことが起きる。それも含めて、みんなで踊る《口実》をあげようとするゆるやかな雰囲気のなかで、次々と《口実》を与えられ踊る井上くんのその踊りは、いち会社員としてふつうに生活するうえでは想定しがたいもので、たしかに、これをやるには《口実》が必要だなあ、とも思った。
それにしても、パソコンの画面を投影したスクリーンの四辺をなぞるように動きながら、「これ、全体の形が「口」ですよね、まさに《口実》です」みたいなことをいっているのなんて、ほとんど無理やりすぎる《口実》で、思わずニヤけてしまった。
それにしても、パソコンの画面を投影したスクリーンの四辺をなぞるように動きながら、「これ、全体の形が「口」ですよね、まさに《口実》です」みたいなことをいっているのなんて、ほとんど無理やりすぎる《口実》で、思わずニヤけてしまった。
このたびは貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。現在はSaaSのPdMを担当されているとのことで、これまでのキャリアとは一線を画したポジションでありながらも、さまざまの現場で培われてきたご経験や、まさに井上さまの仰る誠実さというものが結実した結果のご活躍なのだろうと思い、御社でのキャリアパスの豊かさとともに、理念を体現する井上さまの姿に強い憧れを抱きました。私自身も、外部の環境や役割に要請されて振る舞うのではなく、井上さまのように内発的なモチベーションによって主体的にコミットして事業を創造していく人材として、御社に貢献したいと心の底から感じました。改めて、本日は誠にありがとうございました。
社会人的自己紹介と即興の踊りの組み合わせがまるでミシンと蝙蝠傘の出会いのように未知なる展開を予感させるものでワクワクしながら観れました。